通い猫
酒癖の悪い隣国に乱された髪を掻き上げながらフランスは溜め息を吐いた。
酔っぱらって自分の力で満足に歩くことも出来なくなったイギリスを
放置することなど出来ずに連れ帰った。
もう何度目かも分からない、数える気すら起きない毎度の行為。
上背は変わらないというのに、自分よりも随分軽い身体を今日は背負って帰った。
背負われた身体が歩く度にゆらゆらと揺れるのを面白がり、
手綱でも引く様にイギリスはフランスの髪に指を絡め、弄んだのだ。
ぐいぐいと酔っぱらいの容赦ない力で後ろに引かれ、
仰け反り、後ろに倒れそうになるのを何とか堪え、
お互いに怪我をすることも、させることもなく何とか家まで辿り着いたのは
褒められるべき行為であると思う。
その際、自慢の髪の何本かは抜け落ちたかもしれないが致し方ない。
この隣国に付き合うと決めた時点で支払わなければいけない代償のようなものだと割り切った。
自宅に辿り着くと、もう限界とばかりに半ば放り投げる様に
一番近い客間のベッドへイギリスを寝かせた。
仰向けに倒れ込んだイギリスの身体を受け止めたベッドが、
吸収しきれなかった衝撃にギシリと音を立てる。
ベッドのスプリングの反動で跳ねる様に動いた身体を見下ろしたが、
眉を寄せ不機嫌そうに身動ぐ程度で目を覚ますことはなかった。
ベッドの端に腰掛け、横たわる痩身を見遣る。
きっちりとスーツを着込み、隙のない状態だった身なりは今や跡形もない。
シャツのボタンは上から3つ目まで外れているし、
ネクタイはくしゃくしゃに丸められ、上着のポケットに突っ込まれた状態でイギリスの下敷きだ。
脱ぎ捨てられていた上着を背負ったイギリスの肩に掛けていたのだが、
うっかり退けずにベッドに沈めてしまった。
「……あー間違いなく皺になるな」
このままでは寝押しされてひどい有様になる。
自分がついていながらそれは……美意識に反する。
フランスは仕方なくイギリスの肩を交互に傾け、下敷きになった上着を引き抜いた。
救出した上着をハンガーにかけて吊るすと、再び傍らへと座った。
無防備に投げ出された身体に半開きの口、元から童顔で幼く見えるが、
眠っているとさらにあどけなく見える。
しかし、今はそこに酒の影響で紅潮した頬や熱をもった身体が加わり、
平常時とは異なる、触れれば蕩けそうな色香を放っている。
寝込みを襲うのは趣味じゃない。
愛の国としては、正気を保っている状態の相手を
徐々に口説き落として自分に夢中にさせることが相応しい。
ただ、相手は千年越しの付き合いの隣国で、
素直に愛の言葉を受け入れてくれるタイプではない。
美味しそうな身体を横目に見つつ、大人の余裕でそっと頬に触れる。
指の甲で撫でる様に触れると、嫌がる様に顔を背けられた。
少しムッとして、今度は手の平で包み込む様に触れると、
すんと鼻を鳴らして、イギリスはその手の主を確かめる様に匂いを嗅いだ。
そして、軽く触れていただけのフランスの手に、すっと自ら頬を擦り寄せて来た。
……こういうところが、性質が悪い。
フランスは自らを落ちつける為にひとつ息を吐き、無邪気に擦り寄るイギリスを見下ろした。
頬に触れていた手を顎のラインに沿って滑らせて、その下を撫でる。
ゆっくりと擽る様に触れると、気持ち良さそうに「ん」と喉から息を漏らす。
まるで、飼い慣らされた猫みたいに。
「なあ、イギリス、俺ん家の猫になれよ……」
眠っている相手に問いかける。勿論返事はない。
けど、それでいい。
顎の下を擽っていた指先で今度は唇をそっとなぞる。
反射的に開かれた唇から赤い舌が誘う様に覗き、
フランスは堪らなくなってその色を求めてくちづけた。
甘い酩酊感が徐々に全身を満たして行く。
酒はそれ程飲んでいなかった。だから、これはイギリスのせいだ。
なかなか見せてくれない甘さに溺れる様に唇を重ねる。
抵抗されないのを良いことに、さらに深く重ね、舌を絡ませた。
「……ん……ふっ…ぁ…」
鼻にかかった甘い声がフランスの心と身体に拍車をかける。
着崩れたシャツの下に手を滑らせ、酒で火照った熱い身体をまさぐる。
弄られるのが大好きな胸の赤い実に触れようとしたその時……
「がっ!!」
突如、腹部に強烈な痛みを感じた。
痛みを訴える箇所に恐る恐る目をやると、イギリスの膝がクリーンヒットしていた。
「……調子乗ってんじゃねえよ……」
不機嫌なセリフに、甘い雰囲気は一気に消し飛んでしまった。
フランスはあまりの痛みと絶望に、イギリスの上にばたりと倒れ込んだ。
「わっ、バカ!重ぇよ!!」
「……一体いつから起きてたの?」
「あ? テメェがしつこく口塞ぐからだろうが!」
息苦しくって目も覚めるに決まってるだろ、と罵られ、ガックリと項垂れた。
もう少し、可愛いままでいて欲しかったのに……
イギリスの肩口に顔を埋めて、痛みと甘い時間の終わりに嘆いていると、
今度はガリッと背中を引っ掻かれた。
「どけよ、重いっつってんだろーが!」
「……痛っ……」
そうだ、猫には爪があるのだった。
しかも、この猫は野良猫なのだ。
時間を掛けてゆっくり、焦ってはいけないことを思い出した。
近付き過ぎず、離れ過ぎず、でも放りっ放しもいけない。
構い倒したい気持ちをぐっと堪えて懐いてくれるのを待つ。
最初に構い過ぎて失敗したことも忘れちゃいけない。
フランスはゆっくりとイギリスの上から退いた。
「気分は?」
「え? ああ、そんなに悪くねえよ……」
今日はそれ程酷く酔ってはいないらしい。
ひとまず安心してフランスは立ち上がった。
そのまま、ドアへと向かおうとするフランスの腕をイギリスが掴んで引き止めた。
「……どこ行くんだよ」
「自分の部屋、だけど……」
「……」
引き止めたままそっぽを向いて何も言わないイギリスに困り、
仕方なくフランスの方から語りかけた。
「どうしたの、坊ちゃん?」
そう問いかけても、引き結んだ唇をイギリスはなかなか開こうとしなかった。
だが、待つのはもう慣れている。
少しの沈黙のあと、イギリスはようやくボソリと答えた。
「……今日は、寒いから……ここで寝ろよ……」
もう春先だし、アルコールの摂取で寒さはあまり感じていないだろうに……
腕を握る力の強さと、アルコールのせいではない頬の赤さに惹かれ、
フランスはベッドへと引き返した。
飼い猫はダメだけど、そろそろ通い猫くらいにはなってくれるのかもしれない。
そんな淡い期待を胸に抱いて、照れた猫を抱きしめた。
猫アレルギーですがにゃんこ大好きです。
思いっきり可愛がりたいのに可愛がれないジレンマ。
フランスもそういうのを味わっていればいい。
エロも入れようかと思ったけど、省いてすみません。
2010.03.10 千穂