Tentation parfumée




イギリスが思い悩んでいたことには薄々気付いていた。
惑う視線に戦慄く唇、物言いたげな仕草にひそめられた眉。向かい合えば背けるくせに、背を向ければ追いかけて来る視線がやたら熱くて……それは時に、背中から焼き殺されるんじゃないかと思う程だった。
何がキッカケだとか、一体いつからなのかは明確に分からない。
だが、愛の国を称する自分がその視線の意味に気付かない訳など勿論なく、熱いそれを背中で受け止め続けた。
これが可憐な乙女やセクシーな美女なら、迷わずいつもの様に口説いていたところだが、相手がイギリスとなれば話は別である。
そう、イギリス、なのだ……
数えるのもバカらしくなるくらい長い時間、千年以上も隣で見続けていた腐れ縁だ。他の相手とは訳が違う。
挨拶を交わす様に愛を語らい、時間の流れと共にいつの間にか通り過ぎていく相手たちとは決定的に異なるのだ。
イギリスは自分と同じ国という存在で、この先また気の遠くなるような長い時間を付き合い続けていく相手かもしれないのだ。さすがのお兄さんもおいそれと手を出すことなど出来ない。
それに今更、だろ?
もっと若い時ならノリとかイキオイでどうにかなるのもアリだったかもしれないが、それが通用する歳でもない。
だから、気付かない振りをして普通に振るまい、変わったことなど何もないという素振りで接して来たのだ。
それでいいと思っていたし、そのスタンスを崩すつもりはなかった。

その日は、イギリスが会議でこちらに来ていた。会議後に一緒に酒を飲もうと言われて付き合った。どこか店に行っても良かったが、今年のワインの出来が良かったので飲ませてやりたかったのと、店で暴れられては面倒なので家へ誘った。
だが、そうすることが、もしかしたら最初からイギリスに読まれていたのかもしれない。
招き入れた自宅で普段美味しいものを食べているとは思えないイギリスの為に、自慢の料理の腕を振るってやった。昔から手放しで褒めることなど無いが、食べっぷりと表情を見れば、どう思われているかは解る。順調に減っていく手料理に気を良くしながら、グラスのワインが減れば注いでやった。最近では珍しく、イギリスも変にこちらを意識している様子はなく、久々に和やかに時間は過ぎていった、はずだった。
食事を終えて、場所を移し、お気に入りのソファに並んで座った。他愛もない世間話をしながらワインを飲んだ。 珍しくゆったりと、無茶な飲み方をしないイギリスに自分の方が気が緩んでいたのかもしれない。知らず知らずのうちに、いつもより杯を重ねていた。
ふと気付けば、部屋に薔薇の香りが満ちていた。自分が使う香水などとは違う、どこか甘い香り。
それは、すぐ傍のイギリスから発せられていた。
「……」
昼間会った時や、ここに来た時にはイギリスから薔薇の香りはしていなかった。むしろ、日頃好んで飲んでいる紅茶の香りがしていたくらいだ。
不思議に思い、隣でワイングラスを傾けているイギリスを見つめていると、こちらの視線に気付いたようだった。
グラスの淵に唇を付けたまま、伏せていた視線が流れるようにこちらへ向かう。そのままじっと上目づかいに見られ、ドクリと心臓が脈打った。
いつもはわざと背けられて合わない瞳が、この時はガッチリと合わされた。鼻孔をくすぐる甘い香りと、目の前のイギリスにどこか妖艶に微笑まれ、思わず息を飲んだ。
そして、甘い蜜に誘われる蝶の様に、イギリスの肩を抱き寄せ、その唇に吸い付いた。
唇から伝わる甘い酩酊感。
思えばここで異変を感じて引き返せば良かったのだが、それが出来ないくらいには自分はイギリスに酔っていた。
重ねた唇を待ちかねたように開き、触れた舌を口内に引き込むように絡められ、ゾクリとする。
理性を奪い取るようなイギリスの口づけは、考える隙も与えようとはしていないようだった。吸い付き絡めとられ、さらに深みへと誘われる。
角度を変え、息を継ぐ度にチラリ、チラリと覗く赤い舌が印象的だった。
「……ふっ…あ、んっ…」
口づけの合間に零れ落ちる甘い吐息。触れた場所から、鼓膜から、徐々に浸食されて落ちていくようだった。
踏み込んではいけないと決めていた場所に、今自分から踏み込んでいる。かろうじてその自覚はある。けれど、カラダはもう止まってくれそうもなかった……
肩に回されたイギリスの手が、首筋を掠め、髪に絡む。
唇を重ねながら誘うように弄ぶように時折引かれる。その指先からも、薔薇の香りが漂っているようだった。
指先が動いて、空気が揺れる度に薔薇の芳香が広がる。
ひたとこちらを見つめて薄く微笑むイギリスの仕草と匂いに目眩を覚えながら、その身体をソファへ押し倒した。
ソファのスプリングを背中で受け止めたイギリスが、こちらへ手を伸ばす。仰向けになったイギリスを見下ろすと、理性が最後の警告を告げた。酔っているのを差し引いてもこれはいつものイギリスとは違う。
動作の止まった自分の瞳に、迷いの色を読み取ったのだろう、イギリスはひとつ瞬きをした後、躊躇した腕に指を這わせ、そのまま辿るように手を滑らせ、頬に触れた。
いつまで経ってもどこか無垢な印象の残る緑の瞳は、まっすぐに自分を映していた。純粋、だからこそ怖い。うっかりすると何もかも暴かれてしまいそうだ。
緑色の水晶体に映る自分を認め、一体こいつには何処まで見えているんだろうと思う。
しばし見つめあった後に、たまらずにこちらから目をそらした。ふっと笑う気配が空気を通して伝わってきた。
そして、両頬を薔薇の香りがする手のひらに包み込まれ、引き寄せられた。啄ばむように口づけられ、それから、再び目を合わせて悪戯っぽく微笑まれた。頬を包んでいた手がするりと首に周り、再び、キスをねだられた。
薄く開いた唇から覗く赤い舌、薔薇の香り。甘く芳しいそれらは、抵抗する力を奪うには十分だった。


窓から差し込む陽光に、気が付けば朝だった。
いつもよりも深酒をしてしまったせいで少し重い頭を軽く二、三度振りながらゆっくりと目を開けた。視界と意識が同時に覚醒していく中で、昨夜のことが徐々に思い出される。
そうだ、自分はイギリスと寝てしまったのだ……
額に手を当て、しばし自分のとった行動に打ちのめされる。自然と大きな溜息が零れた。
ガシガシと数度頭を掻いた後、気を取り直して顔を上げた。ぐるりと辺りを見回したが、眠る前に確かに隣にいたはずのイギリスは今は居ない。
昨夜はソファで一度した後、ベッドに移った。ベッドに情事の痕跡は見当たらないが、それは確かなはずだ。
フランスは手早く衣服を身につけると窓辺に立ちカーテンを捲った。
「あ」
庭に見慣れた後姿を見つけた。
いつものように朝からきっちりと服を着込んだイギリスは、イギリスの家ほどではないが、それなりに整えられた自宅の庭の一角に佇んでいた。
よし、と一言気合を入れると、フランスは庭へ向かって歩き出した。
イギリスがいる場所まであと5メートルの所まで近づいたが、そこから歩みが遅くなる自分の足に苦笑いを浮かべた。だが、このまま放っておくわけにもいかない。フランスはゆっくりと進んだ。
「イギリス」
呼びかけると、丸い後頭部がくるりと向きを変え、フランスを振り返る。
振りかえった弾みで一瞬合った目は、すぐにさっと逸らされた。ここ最近で慣れたとはいえ、微妙な反応だ。
一瞬の沈黙の後、再び開こうとした口は、イギリスの言葉で遮られた。
「き、昨日は悪かったな……」
「あ、いや、俺の方こそ……」
まさか先に謝られるとは思ってなくて、驚いた。
「なんか、飯食ってからの記憶がなくって……二日酔いみたいな感じはねーからそんなに飲んでなかったと思うんだけど……」
おっかしいよな、と首を傾げている。
イギリスのセリフはフランスの予想外だった。
昨日のことはなかったことにしてしまうつもりなのだろうか?
「……それだけ?」
思わずそう尋ねた。
イギリスの方から誘った感じだとはいえ、手を出したのは自分だ。詰られることも覚悟していたのに……
フランスはイギリスをじっと見つめた。イギリスの意図が分からない。
「え、なんだよ……俺から飲もうって言ったのに早々に気を失って怒ってるのか?」
勝手に勘違いを始めたイギリスは、おろおろとしだした。見られていることが落ち着かないらしく、眉を寄せ頬を染めた。いつもの反応だ。ただ、ひとつ違うのは、イギリスの身体からやたら紅茶の香りがしていることだった。
「……」
「な、何とか言えよ、ばかぁ」
イギリスに視線を据えたまま考え込んでいる自分に焦れたように、イギリスは叫んだ。
どうも、わざと忘れたふりをしているのではないような気がする。また、おかしなことにイギリスが焦れば焦るほど紅茶の香りは増しているようだった。
昨日の夜のいつもとは異なる、薔薇の香りがやたらしていたイギリスのことを思い出す。
どうも、厄介な方向に物事が動き出した気がして仕方がなかった。





 

不甲斐ないゆえに延びに延びて擬人化でようやく完結させた
薔薇と紅茶の香りのイギギの話。
これは以前、書きかけを無料配布した時のものです。
仕上がったものにはこの間にもエロが入っています。
趣味に走ったコピー本で装丁も凝ってみました(*´∀`)
表紙作ってるときが一番楽しかっただなんてそんな・・・

2010.11.29 千穂   

 

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